皆さん、こんにちは。
朝のルーチンはランニング、あい駒形クリニック常勤医の高橋秀行です。
「耳鼻科医師が訪問診療を志したワケ① 〜耳鼻咽喉科との出会い〜」に引き続き、今回も耳鼻咽喉科・頭頸部外科医である私があい友会と出会い、訪問診療に携わるまでのお話をしたいと思います。
さて、前回は私が耳鼻咽喉科医師になった後、大学院進学を決めるまでのお話をしました。
そんなわけで、社会人大学院として、昼間は大学病院で勤務し、夜は大学院で研究する生活を送ることになりました。幸い業務の分量は配慮して頂けたため、毎晩遅くまで実験して寝る時間もない・・ということもなく、うまく時間をやり繰りすることが出来ました。

私の在籍していた研究室では、腫瘍免疫学を主なテーマとしていました。私が大学院に進学した時期は、免疫チェックポイント阻害薬と呼ばれるがん免疫療法が日本を先駆けに世界中で保険適用となり、腫瘍免疫学が一気にがん基礎研究のメインストリームに躍り出たタイミングでした。このため、私の研究も流行に乗った形となり、研究成果が評価されやすい状況だったので、本当に時運に恵まれていたと思います。
問題は、私に基礎研究の知識も経験も全くなかったことです。医学部生時代から研究室に出入りして基礎研究に慣れ親しむ方もいらっしゃいますが、私はそのような経験は皆無で、自分は何が分からないのかが全く分からない、何を勉強すべきなのか全く分からない、そんな状態でした。加えて、がん基礎研究が色々な研究領域に跨る複合的な学問であることも、初学者の理解を難しくしています。
そんな状況でしたので、最初のうちはとにかく教授に言われるままに実験し、その解釈も教授任せ、という状態でした。理解が乏しく、手技も不安定な状態で実験するため、失敗の連続で、なかなか軌道に乗らず悩む日々でした。それでも地道に勉強と実験を続けるうちに、徐々に出来る実験の種類が増え、がん基礎研究の全体像が見えてくると、自分自身で考え、実験し、結果を解釈し、次の実験に繋げることが出来るようになってきました。そうなる頃にはすっかり研究の魅力に心を奪われ、日々新しいことを探求出来ることに大きな喜びを感じるようになりました。
また、基礎研究は世界中で同時進行しているため、似た研究をしているライバルは国内にはいなくても、世界中にはたくさんいます。当然、最新情報は英語で入手し、論文執筆も英語、学会発表も英語です。それをストレスに感じる場合もありますが、幸い私にはとても新鮮で刺激的でした。
研究室の先生達は、アメリカ癌学会という世界最大規模のがん基礎研究の学会に毎年参加されており、ある程度自身の研究データがまとまった段階から私も参加させて頂けることになりました。それまでの人生で、外国人と共通の話題について議論したり、情報交換したりすることがなかった私にとっては、本当に斬新な経験でした。

こういった経験を経て感じたのは、何事もまずはやってみることの大切さです。当初は大学院へ進学するなど夢にも思っていなかった自分が、基礎研究と出会い、その魅力に取り憑かれただけでなく、世界という舞台に(一応)立つことになった。もし教授に大学院に誘われた時にお断りしていれば、実験の苦労や学費、臨床業務との両立等に悩まされる事はなかった反面、これほど多くの経験や人々との出会いに恵まれることもなかったと思うと、チャレンジしてみて本当に良かったと思います。
また、大学院での研究生活を経て、多くの情報を整理し、適切な解釈を導き、次の行動に繋げる能力が鍛えられたと感じています。こうした能力は研究よりもむしろ、日常臨床の場で大いに役立ちます。実際に出会う患者さんの病態は、一人として教科書通りにはいきません。そんな中、得られた情報を整理して適切に診断し、必要な検査や治療の計画を立てる、この一連の流れを行うにあたり、大学院での経験は今でも活かされていると感じます。
そんなこんなで大学院を卒業出来る見通しが立った頃には、誰しも卒業後の進路を考える事になります。すなわち、臨床医に戻るか、博士研究員としてさらなる研究の研鑽を積むか、です。前述の通り何事もまずはやってみることの大切さを感じていた私は、あまり迷うこと無く博士研究員の道を選び、大学院卒業と同時に基礎研究の本場であるアメリカへ、家族と共に渡ることとなりました。
この時、私は自分の将来を楽観視していました。この先、多くの苦難が待ち受けていることなど、知る由もなかったのです…。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました☆
「耳鼻科医師が訪問診療を志したワケ③ 〜苦難のアメリカ生活〜」に続きます。まだまだ訪問診療に出会う気配はありませんが、気長にお読み頂ければ幸いです。
乞うご期待!