皆さん、こんにちは。
初めて食べた盛岡冷麺は絶品でした、あい駒形クリニックの高橋秀行です。

先日、第48回日本死の臨床研究会年次大会に参加してきたので、ご報告させて頂きます。
日本死の臨床研究会とは
「日本死の臨床研究会」は、1977年に設立され「死にゆく人とその家族にいかに寄り添うか」を多面的に探究してきた学際的な研究会です。
医師、看護師、介護職、臨床心理士、宗教者、社会学者など、多様な立場の専門家が集い、「死」と「生」のあり方を学び、語り合う場として長年続いています。
緩和医療学会と比べても、より幅広い視点から「死」と「ケア」を捉える点に特徴があります。
第48回年次大会の様子
第48回年次大会は、2025年11月1日〜2日、盛岡市で開催されました。

大会テーマは「”あめゆじゅ”を求め、向き合い、そして支える」で、詩人 宮沢賢治が最愛の妹トシの死に際して詠んだ詩『永訣の朝』の一節に由来しています。
全国から多くの医療職、宗教職、社会・心理職、一般教育職、他の研究職、さらには一般市民が参加し、一般演題・シンポジウム・事例検討などを通じて、「人が死にゆくプロセスにどう寄り添うか」という本質的な問いが幅広く議論されました。
ケアリングマインドを見つめ直す貴重な機会
私は今回、初めて本研究会に参加しました。
「死の臨床」と初めて聞いて思い浮かべたのは、自身の専門である緩和ケアです。
緩和ケアというと「がんの末期」というイメージを持たれがちですが、実際には、肉体的・精神的・社会的・スピリチュアルな痛みを抱えるすべての人がその対象となります。
緩和ケア学会とは別に「死の臨床研究会」が長年続いているという事実は、この研究会が「緩和ケア」よりもさらに一歩踏み込み、「死そのもの」に焦点を当てていることを感じさせます。

実際に参加してみると、ほとんどの演題が「死」をテーマに、患者さん・ご家族・医療者・介護者・社会それぞれの視点から深く掘り下げた内容でした。
日常的に人の死に向き合う仕事をしていますが、四六時中「死」について考えているわけではありません。
その意味で、今回の学会はあらためて自分のケアのあり方、ケアリングマインドの持ち方を見つめ直す、貴重な機会となりました。
死にゆく患者さん、ご家族のために、私たち医療者ができるケアとは何か。
真に寄り添うとはどういうことか。
近代ホスピスの母・シシリー・ソンダース先生が説いた「患者・家族の苦しみからの解放を優先し、尊厳のもとにケアを提供する」という理念、すなわちケアリングマインドの実践とは何か。
そうしたテーマに深く踏み込んだ発表が多く、言葉の選び方や会話の運び方など、実践的に学べる内容も豊富で、非常に勉強になりました。

あい友会の発表演題
当法人からは、あいつくばクリニック、あい熊谷クリニックより2つの演題を発表しました。
あいつくばクリニック|「がん終末期における患者の身体的動きを痛みとみるか、生きるとみるか ― 家族が発した言葉から考える ―」(ポスター発表)
がん終末期では、オピオイド(医療用麻薬)の増量が必要となる場面が多くあります。
身の置きどころがなさそうに身体を動かす患者さんの様子は、医療者から見ると「痛みのサイン」として認識されることが多い一方でご家族からは「最後まで生きようとしている姿」として受け止められる場合もあります。
この発表では、そうした“痛み”と“生きる”の間にある多様な解釈と、ケアのあり方について考察がなされました。
あい熊谷クリニック|「がんで在宅看取りにある患者の家族が持続的深い鎮静を強く望んだ時、私たちはどうしたらいいのだろうか。」(事例検討セッション)
鎮静とは、苦痛が強く、他の手段では緩和が困難な場合に、薬剤で覚醒状態を低下させて苦痛を軽減する医療行為です。
ガイドラインに沿って多角的な評価を経て行う必要がありますが、在宅の現場では深い鎮静を実施する機会は少なく、判断やプロセスの共有が難しいという課題があります。
本発表では、在宅で深い鎮静を希望された事例をもとに、「私たちはどう判断し、どう行動すべきか」という問いについて、参加者を交えて活発な議論が行われました。
私自身も実施経験が少なく、今後クリニック全体で議論を深める必要性を強く感じました。
死を語ることは同時に“生”を見つめること
今回の学会参加を通じて、「死の臨床」というテーマの奥深さと、その中で私たち医療者が果たすべき役割の重みをあらためて実感しました。
死を語ることは、同時に“生”を見つめることでもあります。
患者さんとご家族の人生の最期に寄り添うために、何を大切にし、どう在るべきかを日々問い続けること。
それこそが、この研究会が48年にわたって続いてきた理由なのだと思います。
最後までお読み頂きありがとうございました!





